入川舜 Shun IRIKAWA HOMEに戻る

ドビュッシーとベートーヴェンについて

ドビュッシーの音楽は、昔からすごく好きな音楽でした。
何が好きだったのかといえば、その響きの豊かさに魅せられていたと言えます。
私に限らず、ドビュッシーという人は、万人を虜にするような「響きの魔術師」というニックネームが似合う作曲家と思います。ただ、今日演奏する作品はみな、ドビュッシーがみな「魔術師」になる以前の音楽で、魔術を使いこなすには、きれいな響きだけでなくて、スパイスの聞いたものや、あるいは毒のような響きも必要なんですね。
ドビュッシーは次第にそんな響きを獲得していくのですが、「夢」という作品では、まだそんなドビュッシーの本領は表れていない、きれいだけれども何か物足りない音楽のようです。
「舞曲」「ロマンティックなワルツ」は、もっとずっと活気のある曲で、確かに甘美ですが、リズムの楽しさと相まって、ドビュッシーがより自信を持ってこの曲を発表したのではないかと思います。「アラベスク」などと並んで、もっと弾かれてもよいピアノ作品なのではないかと。
「夜想曲」という作品はショパン以降多くの作品が作られましたが、ドビュッシーのピアノ曲に関しては、この一曲しかありません。
ドビュッシーの作品では、夜に題材を持った音楽は数多くあるのですが、単に漠然とした「夜想」というよりは、具体的な夜のイメージ(月や、花火などの風景や、夜をテーマにした伝説etc.)から音楽を創造するほうが、よりドビュッシーの本領に合っていたのではないでしょうか。
「ベルガマスク組曲」は、ドビュッシーのこの時期の代表作です。
「組曲」というのは、バロック時代に流行した、種々のダンスをひとまとめにしたもので、バッハやヘンデルにはこの作品が数多くあります。ドビュッシーはこれから影響を受けてベルガマスク組曲を作ったのだと思われます。
前奏曲―メヌエット―パスピエ という3曲は古典の組曲の中にも組み込まれていますが、「月の光」は、独自にドビュッシーが編み込んだもので、舞曲とは関わりがありません。その作品のみが広く知れ渡ることになり、ドビュッシーといえば「月の光」の作曲家と言われるようになりました。
今日は、全4曲を演奏します。「月の光」に劣らず皆美しい曲ですので。そして、「月の光」知ってる?と言われたら、これからは「ああ、『ベルガマスク組曲』の?」と返してあげたら、この人ツウかな、と思われるかもしれません。
ドビュッシーの「月の光」を弾いたあとに、ベートーヴェンの「月光」を弾くというのもなかなか乙なものですが、「月光」は、実はベートーヴェンが名付けたものではありません。ベートーヴェンはこの曲を、「幻想曲風ソナタ」と名付けました。
「ソナタ」というのは、音楽の構成の方法で、音楽の専門的知識としては必要なのでしょうが、普通の人は「何それ?」という感じですよね。なので、ソナタのことをとやかく言うつもりはありませんが、ベートーヴェンは32曲のソナタで自分の人生をかけたようなものなので、彼にとっては大事なものでした。
「幻想曲風ソナタ」では、ベートーヴェンはソナタの論法の中に、自分のファンタジーをより組み込んでみようじゃないかと考えて、このような1楽章を生み出したのです。それは、それまでのソナタにあるような明確な音楽ではなくて、すごくボヤーッとした曖昧な形を持つものとなりました。それが、後年、ある詩人によって「湖に月が反射しているようだ」と言われたことから、「月光」というように言われるようになったのです。
そのネーミングのおかげと言うか、現在ではこの曲は知らない人はいないほどの名曲となりました。でもベートーヴェンが「月光」という名前でこの曲が呼ばれているということを知ったら、びっくりするかもしれませんね。
ベートーヴェンにとっては音楽とは、自分の精神世界を表出するものでした。これがドビュッシーとは真逆のことで、ドビュッシーは外の世界から受けた影響を音楽にしていったといえます。大まかに言えばですが。
さて、ベートーヴェンの後期のソナタになってくると、さぞ深遠な世界が繰り広げられているのだろうと思われるかもしれませんが、この28番のソナタの1楽章は、それまでのどのようなソナタにもないような優しさが感じられるもので、意外にも、ベートーヴェンも人間が好きだったんだな、という気持ちになります。「心からの表情をもって」(1楽章)とか、「憧れに満ちて」(3楽章)など、文学的な発想表記もあって、感情の豊かさをこのソナタでは最大限に出していくことが求められます。
ベートーヴェンは四角四面な真面目人間だったというふうに思われるかもしれませんが、それはまったく違うんですね。その感情の豊かさが、あとに続くロマン派の音楽家たちに大きな影響を与えたのでしょう。
そのひとりにロベルト・シューマンという作曲家がいますが、この28番のソナタはシューマンのピアノ曲の傑作の一つ「幻想曲」に強く影響を与えています。2楽章の行進曲のリズムからそれを推し量るのは難しいことではないでしょう。
3楽章になってくると、いよいよベートーヴェンの本領の精神世界に迫ることになります。この楽章は前半がゆっくりとした、沈静するような部分で、後半がそれに「NO」と応えるかのように、前へ上へとひたすら進んでいく部分です。これは、緩―急というだけにとどまらず、「迷い―解決」や、「苦悩―喜び」のように、この時期のベートーヴェンの多くの作品に見られるテーマだったように思われます。